人を仲間とそれ以外に分ける

 人は人々を分類して自分がどの集団に属する(価値観・意志をひとつにする)か決めるのが好きだ。けれど僕は自分と他人の区別をはっきりさせるのが好きで、他人がいる集団に属するのが嫌いだ。人類に属していると考えるのもあまり楽しくない。知能の低いヒトの個体より、知能の高いチンパンジーやイルカの個体のほうが大切かもしれないと考えてしまう。つまり「人類のために役に立ちたい」とも思えない。「自分が気に入る人々の役に立ちたい」なら思える。


 それでも時々他人と価値観を共有できるかと期待し、やっぱりだめだと気を引き締め直す。この引き締めるときは快いけど、それはその前に期待と落胆があるからだ。世の中の人々はこの波打つ期待が平均的に僕より上なのだろう。特に期待の高い人々は愛国とかもっと高ければ人類愛とかの言葉をよく言う。